塔本シスコ展に行って参りました。200点以上もの作品が展示されており、見ごたえ十分。ヴィヴィットな色彩と大胆なタッチに、シスコ・ワールドへ一気に引き込まれました。
塔本シスコ展「シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記」
世田谷美術館(2021年9月4日~11月7日) ※原則、日時指定券の事前購入
作品の素晴らしさはもちろんのこと、塔本シスコさんの生き様に魅了されたと言っても過言ではありません。展覧会では、すべての作品の写真撮影が許可されていたので、このとき撮った作品を交えて私自身が感じたことについてお伝えしたいと思います。※掲載許諾を得ています
塔本シスコさんの生い立ち
1913年、熊本県八千代市に生まれました。生後まもなく養女として引き取られ、養父は自身のサンフランシスコに行きたいという夢を託して、彼女をシスコと命名します。カタカナの名前が多かったとはいえ、第一次世界大戦が勃発する最中です。
1922年に家業が傾き、当時まだ小学校4年生だったシスコさんは小学校を退学。その後、幾つかの奉公先で働き、20歳で料理人の塔本末蔵さんと結婚します。
太平洋戦時下の1943年に長男(画家の賢一氏)、終戦後に1946年に長女(和子氏)が生まれます。草花や金魚などを育てながら子供たちとスケッチをしていたそうです。生活は苦しいながら、おそらく家族と一緒に幸せな日々を過ごしていた時期でしょう。
その後、夫はダム建設現場の厨房の職を得ますが、1959年に労災事故に巻き込まれ他界。シスコさんは突然の別れに嘆き悲しみ、心身の不振で軽い脳溢血を発症します。これを機に長男の賢一氏が働きに出ることとなり、時を同じくして画家としての人生を志すようになります。
1966年、賢一氏は広島に移り仕事と絵画制作に励みますが、その年に熊本の実家に帰省した際、衝撃的な光景を目の当たりにします。それは、賢一氏が残していった作品の絵の具を削ぎ落し、そこに自分の絵を描いているシスコさんの姿でした。そこから、画家としての新たな人生が始まったのです。
美術教育との縁を持つこともなく、自分自身で切り拓いた表現の世界。2005年、91歳でこの世を去る直前まで絵筆を離すことはありませんでした。
参考出所:「塔本シスコ シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記」国書刊行会
人生すべてが壮大なキャンバス
草花や生きもの、自然、人間、そして幸せな記憶や体験がモチーフとなった素朴な作品が多く、とても親近感を覚えます。慎ましく暮らした市井の人であり、言うなれば普通のおばあちゃんです。
しかも、息子の残した作品の絵の具を削り取って描くという、衝撃的な出来事。
これは、そのときに書かれた作品です。
そうして、家族の支えものと、53歳から本格的に絵の道へと進みます。
様々な辛酸をなめて生き抜いてきた彼女自身の人生が、絵を描くことで昇華されていくような、生きる意味そのものを与えていったのではないでしょうか。
「私にはこがん見えるったい」と、自分らしく自由に描き続けた創造の世界。遠近感など様々な意見はあるでしょう。でも、一つの作品として、彼女が感じたものがすべてであり、唯一無二のものです。
それぞれの作品から、圧倒的な喜びや嬉しさ、情熱、命の輝きが伝わってきます。
それは鮮やかな色彩だけで生み出せるものではありません。「見て見て!」と絵が叫んでいるように感じてしまう。エネルギーが漲っているのです。命が宿っているのです。だから、私は大変魅了されてしまいました。
シスコさんの作品には、月が多く登場します。
人生最期の作品となったのも、満月だったそうです。自分の人生に大きなまるを描いて「これで良し」、と天国へと旅立っていったのではないでしょうか。
シスコさんの作品に触れて、私自身たくさんのエネルギーをもらいました。何かを始めるのに、遅すぎることなどありませんし、悲しみをも含めたあらゆる人生経験があるからこそ、創造の源になり得るのだと感じます。
塔本シスコさんの世界感を存分に楽しめる、素晴らしい展覧会でした。